梅雨時に思う ④
亡くなった父は、無名の書道家でした。
その昔は、近所の小中学生相手に書道塾を開いていました。
世渡りが下手で、欲がなく、自分が!自分が!という
自己顕示欲もなく、
ただひたすら字が好きで、
墨を磨るか、猫を構うか、酔い潰れている姿しか思い浮かびません。
特技を生かして金儲けに結びつける抜け目のなさも政治力もなく、
日の目を見ずに亡くなったのですが、
残された作品は、素人目にも整然と美し過ぎます。
(ただの身贔屓です)
その昔は何も気付きませんでした。
いつも家の中に溢れかえる父の作品に腹一杯、うんざりなだけでした。
『どうして、わたしに書道を教えてくれないの?』
いつだったか聞いたとき、
『極めればキリがない。終わりがない。こんな苦しいことはない。
こんな苦しい目に遭わせたくない。』
(そんなに苦しいのか?)
ただ単に、身内に教えることを面倒に思っただけかも知れないです。
『あのとき、突然大きな真っ黒い手が現れた。』
事故からしばらく経ったある日、母に話しましたら、
『…お父さんや!お父さんが助けてくれた!』
転げるように仏壇に向かい深々と参っていました。
真っ黒い手…から…墨、墨を磨る父への連想です。
早くに自分の母親を亡くし、男手ひとつで育てられたという
父がポツンと一言
寂しかった…と呟くのを聞いた覚えがあります。
2人の孫が同じ目に遭うことを危惧したのかもしれません。
学校でムリヤリ作らされた作品以外、父の日だろうと母の日だろうと
誰かの誕生日だろうと全てガン無視のわたしですが、
これを書きかけて気づきました。
奇しくも今日は父の日でした。
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