この町内の片隅から

よく分からない

宝石


他の方の記事にもありましたが、わたしも息子の姿が見たくて、一目でいいから
姿が見たくて職場まで行ったことがあります。



公共性のある職場なので、一般人がウロついていても、それほど目立たないだろうと
踏んだのですが、その日、館内に入ると来客はポツンと自分だけでした。


目で探していましたら、通りかかった職員の方に


『どうされましたか?』


思わずうっかり


『◯◯のウチの者です。ちょっとだけでも顔が見たくて…すみません。
用もないのにすみません。
ここからちょっと顔みるだけでいいと思って入ってしまいました。』


バカ正直に身分を明かしてしまいました。
本人は外出中で、こっそり顔を見ることも出来ず、苦く後悔しながら
すごすごと帰りました。





その夜、電話がありました。
滅多に掛けてくることのない息子からです。


(あー!口止めしてくるのを忘れた。怒ってんだろうな〜)
憂うつな気持ちで電話にでましたら、


『きょう、来てくれたんだって!せっかく来てくれたのにごめん!ごめん!
ちょうど出かけてたとこだった。』


思いがけぬ、明るい弾んだ声に驚きながら、


『職場なんて覗いて、怒ってないの?』


『え?なんで?別に』
(え?なんで?と、驚くのはこっちでした)



小学校高学年の頃から、何を言っても態度も言葉もピリピリと
常にはね返されるようになり、
対応に非常に苦慮してきました。
剃刀のような言葉に幾度もズタズタになりました。
用意した弁当を無視され続ける毎日は心が折れました。




滅多にないことですが、宝石のように煌めく一瞬に支えられるから、今までもこれからも
何とかトボトボとでも生きていけるのかも知れないです。
それは、神さま?目に見えぬ大いなる存在からの贈り物かもしれません。



ときどき、その言葉を思いだし、繰り返し温めています。




コメント欄のないその方の記事を読んで
暑い中、息子さんの職場に向かわれた切ないお気持ちが、自分に重なりました。


友だちが送ってくれた写真です。
わたしにとって、煌めく写真です。