この町内の片隅から

よく分からない

洗濯機

この子、いつからウチにいたんだろう?

脱水時の音が大きくなったような気がする洗濯機を、不安げに見つめました。


いま壊れたら困る

いや…「壊れる」なんて言葉を軽々しく口にしてはいけない


一晩考えた挙句、

次の日から、洗濯機に向かって声を掛けることにしました。


スイッチを入れる時、


「今日もありがとうございます。どうか宜しくお願いいたします」


そして、彼女が働く音が聞こえない空間に逃げて、

5秒ほど静かに祈ります。


(無事に終わりますように)


しばらくすると、ピーピーピー

終了の音が聞こえます。

洗濯物を取り出しながら、


「ありがとうございました。お疲れさまでした。

わたしは、こんなにたくさん洗うことができません。

絞ることもできません。

本当にありがとうございます。

きょうも庄内川に行かずに済みました」


心なしか脱水時の音が控えめになったようです。

店に行けば、ピカピカの新しい子はずらりと並んでいるでしょうが、

いつから同居していたか覚えのないこの子と、1日でも長く一緒に暮らしたいです。



なぜ、白い洗濯機に心惹かれるのか分かりません

廃屋と洗濯機とねこ - この町内の片隅から


そこら辺で見かけた洗濯機


(最後の一枚は、寂れたコインランドリーに仲良く並ぶ洗濯機)


敬意を込めて撮らせていただきました。

ちらし寿司

※ すべてフィクションです


「はい!カーーット!」

監督の合図にハッと我に返った。


ささくれ立った

一口だけのコンロ

剥がれ落ちた壁紙を隠すためのポスターがペラっと剥がれかけている

西日が眩しい

窓からの眺めは、あの頃と変わらない


〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜


(日が落ちると、まだ寒さ厳しいな…)


年がら年中、下駄箱の上に置きっぱなしにしてある、

焦げ茶のマフラーをクルッと巻いてドアを開けた。

活動時間がここに住む他の住人と違うせいか、

滅多に誰の姿も目にしたことがない。

こんな時間に珍しく通路に1人の女性が佇んでいる。

いちばん端の部屋のドアの前で、大きな風呂敷包みを手に困ったように佇んでいる。

長いこと会っていないオカンと見間違えてギクリとした。


誰とも関わりたくないので、黙って通り過ぎようとした。


(関わるな!ほっとけ)


自分の内から声がする

分かってる

言われなくても分かってる

それなのに気づいたら声を掛けていた


(ばか!黙れ!ほっとけ)


「どうかされたんですか?この部屋の方は、まだお帰りじゃないと思いますが」


「こっち方面に来る用事があったから

序でにと思って連絡もせずに来ちゃった。娘にこれだけ渡したくてね。

部屋の前に置いといていいものかしら?」


大きな風呂敷包みと紙袋がふたつ。


「構わないと思いますが、もしよかったらお預かりしましょうか」


黙れ!ほっとけ!という声を無視して、もう1人の自分が勝手に答える。

自分のことで精一杯なんだ。他人のことなど一切関わらないと決めているのに。

長いこと会っていないオカンを思いだしたからかもしれない。


「いいんですか!助かります!今日中に帰らなきゃいけないんで助かります。

ありがとうございます!」


何の疑いもなく、オレに風呂敷包みを預けようとする。

中身は何か知らないが、もっと荒んでいた頃の自分だったら、

全部自分のものにしてしまったに違いない。


こんな嬉しそうな顔を見たら、ちゃんと渡すしかないだろーが!

だから、関わるな!と忠告したのに!


重荷を下ろした誰かのオカンは、カンカンカンカンと足取り軽く、

階段を降りていった。



次の日は土曜日だった。

ごみ捨て場で数回見かけただけで、ロクに挨拶を交わしたこともない

住人が住む部屋のインターホンを鳴らした。


(あの母ちゃんから連絡が行ってますように。たくさん喋るのは苦手だ)


「はーい」


「突然すみません。201の者です。お宅のお母さんから荷物預かっています。

開けなくていいです。ドアの前に置いときます」


人と話すのは苦手だ

インターホン越しでも、それだけ話しただけで動悸がした。


(まぁいい、任務は終えた。これに懲りてもう2度と誰にも関わるもんか)


その日はバイトのない日だった。

何をするでもなくぐずぐずするうちに、窓の外が暗くなってきた。


(めし作るの面倒だな。ラーメンでも食いにいくか)


ジャンパーを引っ掛けて、ドアを開けたら

正面に突っ立っている女性と目が合う形になって、

驚きのあまりひっくり返るところだった。


「なに?アンタだれ?何してんの?人の部屋の前で?」


「ごめんなさい。いまちょうど、インターホン鳴らそうとしてたんです。

荷物預かってくださってありがとうございました。

ほんのお裾分けです」


差し出された紙袋の中は食べるものらしい

部屋に戻って確認したら、笹団子とちらし寿司が入っていた

すこし不揃いの蓮根、人参、油揚げ、ご飯が見えないくらいいっぱい敷き詰められた錦糸卵。

そして大きな焼き鮭の切り身

…オカンの作るちらし寿司に似ている

東京の養成所に入って、俳優を目指したいというオレに猛反対していたオカンが

最後の夜に作ってくれた晩飯はちらし寿司だった。


…そうだった


最後の晩飯はちらし寿司だった。


オカンはどんな思いで作ってくれたんだろう

黙って食べたちらし寿司


(あの子、自分の分はちゃんとあるんだろうか)

不思議に思いながら、本当に久しぶりに人の温もりが感じられるご飯を堪能した

あの時と同じように黙って食べた。


この頃は、アルバイトに明け暮れるだけで自分を見失っていた

自信もプライドも削げ落ち、誰にも会いたくない日々だった

諦めて帰ろうと思っていた


この日を境にじわじわと気持ちが上がったのは、ちらし寿司のお陰かもしれない。


良い日もわるい日も、諦めわるく3年を費やした

神の奇跡が起きたのは3年目の春だった

実力というより、神の気まぐれだったのだろう



ドラマ撮影の舞台というこんな形で、再びこの場所に戻ってくるとは…


その後、言葉を交わすこともなく、

いつの間にか引っ越して行ったいちばん端の部屋の女性のこと、

どん底だったオレを救ってくれた、ちらし寿司のことなどが唐突に思いだされ、

暫し放心状態になってしまった。


〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜


「いやーよかったよ!桐山ちゃん。ここで逃げ隠れしてた

逃亡犯に寄せる心情がよく表れてたよ。

滲み出る哀しみが身体全体から伝わってくる!すばらしい」


(当たり前だ。ここは本当にオレが住んでいたアパートだ。

心情を寄せたのは、主にちらし寿司だがな)


収入も社会的ステータスも格段に上がったが、

あの夜以上のちらし寿司には、まだお目にかかっていない

あの頃と今とどちらが幸せなのか分からない



分からなくていい

分からないままでいい

そう思いながら、

ひとつだけ落ちかけている、ブロック塀の表札プレートをそっと撫でた




画像はすべてお借りしました

その日、インスタでフォローしている方が、いつものように更新されました。

その方の写真からは、ポツンとした哀しみや郷愁を感じますが、

その日の写真は特に心に刺さり、あれこれ想像を巡らせてしまいました。


事情を話し、ここに掲載する許可をいただきました。

快くご承諾いただき、ありがとうございます。


拙い文章なので、素敵な写真に申し訳なく思います


話の内容は、すべてフィクションです

パーティション

使い終えたバスマットを干そうと、ベランダに続く掃き出し窓をガラッと開けました。

昨日までの光景とどこか違う、そう感じたのは

仕切り板の向こうが真っ暗で、しんとしているからでしょう。


うちは集合住宅のマンションです。


各戸のベランダは隣戸との仕切り板


非常の際には、ここを破って隣戸へ避難出来ます】


そう明記されたパーティションで仕切ってあります。


昼間は気になりませんが、夜になると仕切り板の隙間から明るい光やら

TVの音、人の騒めきなどが漏れ聞こえます。

明るい光や騒めきに微笑ましさを覚える日もあれば、

逆に苦々しさを覚える日もあります。


鏡に映るように、自分の気持ちがそのまま返ってくるのです。



同じ時期、新築で入居した隣のご家族はうちより5つ6つ歳下と思われる

若いご夫婦でした。

にこにこ明るい雰囲気の奥さまの隣に、

少し照れ臭そうな表情を浮かべた背の高いご主人が立っておられました。

感じのいい人たちだな

よい隣人に恵まれた

安堵したことを覚えています。


じきに一歳の誕生日を迎えようとする長男の世話に明け暮れる毎日は、

忙しくも楽しい日々でした。


いい日々は長く続きません。

いえ、物事に「よいわるい」のレッテルを貼るのはおかしなことです。

よいもわるいも、さまざまなことが淡々と流れるのが、

生きていくということなのですから。


2人目を身籠ったのは入居して間もなくのことです。


女の子だろうか?また男の子だろうか?

どっちでもいい

かわいいに決まってる

気持ちわるくてしんどいけど嬉しいな


よく晴れた休日、家族3人でいつもと違う大きな公園に出かけました。

くるくる回る長い滑り台が気に入ったのか、何度も滑りたがる息子。

来年は、弟か妹が一緒だな

幸せな想像がぼんやり浮かびます。


思わぬ出血を見たのはその夜でした


あっという間でした

弟か妹はダメでした


ひっそり処置を受けて1人で帰った部屋には、布団が敷いてありました。

誰もいないのをいいことに、布団を被って獣のように泣いたことを覚えています。

どこから悲鳴が聞こえるのだろう?

うるさいな…ふしぎに思いながら泣きました。

いつまでもいつまでも

闇が迫るまで泣き続けました。


引っ越してから公園で知り合った何人かのお母さんにも、

昔からの友だちにも誰にも黙っていました。


絶対知られたくない

同情なんかされてたまるか


ときどき血が滲む傷口にしっかり蓋をして、幸せな日々を演じていたのです。


隣の若い奥さまのお腹がふくらんでいる?

気づいたのはそんな頃でした。


(まさか?なんで?どうして?)


お一人目を妊娠されたようでした。

会うたびに大きくなっていくお腹を自慢げに見せつけられているようで、

忌々しい思いでした。

一生懸命に蓋をしている傷口を抉られるので、

見たくなくて会いたくなくて徹底的に避けました。


無邪気な笑顔を憎んでしまう

あの人は何も知らないんだ

あの人たちに罪があるわけじゃない


何度も自分に言い聞かせましたが、

心の中に芽生えたどす黒い根っこはどんどん蔓延っていきます。


キライでした

大キライでした

いつもにこにこしてる奥さまも、少しだけ不器用そうなご主人も。


いなくなればいい

あの人たちも苦しめばいい


人を呪う自分が苦しくてたまりません。


隣は次々と授かり、ベランダに出ると、いつの間にか仕切り板の隙間からは、

3人のお子さんの賑やかな声が聞こえるようになりました。


呪っている人間がすぐ隣にいるなど、思いもよらなかったことでしょう。

ひた隠しに隠していた気持ちに、気づかれたかどうか分かりません。


この春、ご主人の転勤で遠方に引っ越されると聞いたとき、

1人で抱えていた重い荷物をやっと下ろしたような気がしました。


入居の日と同じ笑顔で、引っ越しの挨拶にいらっしゃった日。



「しばらく賃貸に出して、任期を終えたらまた戻ってくるよ」


そう聞いたとき、思いがけずホッとした自分に戸惑いました。


キライだ、目の上のたんこぶだと思っていましたが、

裏表がなく困ったときは親切に手を差し伸べてくれる彼女と

そのご家族のことが本当は好きだったのか…


真っ暗でしんと静まり返るベランダの仕切り板の隙間を見ていたら、

目の前が滲んできました。


ごめんなさい

ありがとう

また会えるよね