この町内の片隅から

よく分からない

あんな些細なことで怒るなんて思わなかった。
考えなしに言葉を発した自分がわるかったのだろうか?



喉元まで込み上げる塊をグッと飲み込んだわたしは、
上下の取り合わせも何もなく、手近にあった服にサッと着替え、
財布とケータイだけリュックに押し込んで、黙って外にでました。
行くあてもありません。
(遠くまで行こう、海が見えたら尚いい)


電車の窓から次々と移り変わる景色を眺めていたら、もやもやもイライラも
飛んでいくような気がして、特急電車に乗り込みました。


(これは、普通電車です)



事の発端は一冊の本でした。
週末の午後早い時間、3泊4日の出張から帰ったダンナが、
カバンの中から一冊の本を取り出しました。


『これ、面白そうだから買ってきた』


それは、つい先頃、図書館で借りて読んだ本でした。
華々しい前評判にも関わらず、ぼんやりした内容だったなぁ、期待外れだった、と
拍子抜けした一冊でした。


『あ!それ読んだばっかだ、あんまり面白くなかった』


思わず、正直な感想が口をついて出てしまいました。
しまった!と思ったときは時すでに遅し。


せっかく楽しみに買ってきた本を貶されたと感じたのでしょう。
みるみる顔色が変わった彼は一言も言わず、
新品の本をゴミ箱に突っ込んで捨ててしまいました。


似たような場面は今までも度々あった気がします。
学習能力のないわたしは、幾度凍りついても同じことをしてしまいます。


でも、望むらくは、


『そうなんだ、面白くなかったんだね。とりあえず読んでみるよ』


そんな風に返してくれる人だったらどんなに嬉しいことでしょう。
ビクビクせずに済むでしょう。


1人になりたくて、その場の空気が耐えられなくて、
後先も考えず、電車に飛び乗ったという次第です。



次の駅に着きました。
がやがや賑やかに大勢の人が乗り込んできます。
四角いボックス席のすぐ後ろには、
家族連れが向かい合って陣取ったようです。


(そうか、春休みだから家族旅行かな?)


『喉乾いた!お母さん、ジュース!ジュース!』


『持ってきたお菓子食べたい』


弾むような会話から察すると、幼稚園くらいの男の子2人と
お父さんお母さんでしょうか。


『はいはい!ジュース。こぼさないでね』


ごそごそとジュースやらお菓子やらが出される
気配がします。
プシュッと缶を開ける音。
ビリビリとお菓子の包みを破る音。
甘ったるいカラメルの匂いがしてきました。


『あーおいしい!』


ごくごく喉を鳴らしてジュースを飲む幼い兄弟、
にこにこ見守るご両親。
すぐ後ろのボックス席の様子が目に浮かぶようです。


羨ましいなぁ
そんな時代もあったのに、なぜ今、1人あてもなく電車に乗っているんだろう?
目の前が滲みそうになりました。


しばらくぼんやりと車窓からの景色を眺めていましたが、
手洗いに行きたくなって席を立ちました。


通路脇を通るとき、どんな仲良し家族なのかな?
チラッと横目で窺いました。




〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※



春休みに入った
恒例の家族旅行だ
私は、昔から旅行が苦手だ
移動することがあまり好きではない
それでも自分1人だったら、楽しめるかもしれないが、
幼い子どもたちの荷物も私が作らねばならない。
細々とした面倒事も一手に引き受けねばならぬ。


ダンナは家族旅行を決行する事実を作ることで、自己満足に浸っているだけなのだ。
仲良し家族を世間にアピールしたいだけなのだ。


細々とした現実は全部こっちに降りかかってくる。
本当のことを言えば波が立つので黙っているが、めんどくさい。




あ!すらっとキレイな人!通路を通って手洗いに行かれるようだ。


ベージュのニットに白のリブパンツ
お洒落な大人カジュアルだなぁ
淡い色は汚されるから当分着れないもんな


1人で旅行かな
荷物も少なくていいな
羨ましいなぁ






海の見える駅に到着しました。
到着のアナウンスに続き、
電車の扉がパァッ〜と開きました。



果てなくどこまでも広がる青い海が見えます。
(現実は、生憎の天気で、どんよりした空と灰色の海でした)


狭い車内に燻っていたそれぞれの思いもパァッ〜!と
海に向かって散っていきました。



〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※


『いま、1人で電車。後ろの席の家族連れが幸せそう。羨ましい』


先日、
『いま海沿いに向かう電車の中にいる』


という友だちからそんなメッセージが届きました。
センスのいい綺麗な方です。
海の写真がほしいとお願いしましたら、
『これしかない』
と上の画像を送って下さいました。



メッセージが頭から離れず、あれこれ想像を巡らせた妄想の話です。


ところどころ事実も散りばめてあります。

骨董市

『ちょっと!あなた!お待ちなさい!
アタシを見るのよ!』


突然呼び止められ、きょろきょろと辺りを見回しましたが、
誰もいません。
(空耳かしら?
それにしても随分はっきり聞こえたわ?)


『空耳なんかじゃなくってよ!アタシよ! ア・タ・ク・シ!
あなたの直ぐ目の前よ。
ボッ〜と通り過ぎるんじゃないわよ!』



夜半過ぎまで、ビュービューと吹き付ける風が、
窓枠を絶え間なくカタカタと揺らしていました。


日差しはたっぷりあるのですが、
昨夜からの強い風が残る寒い朝でした。
ベランダに出てみると、捲り上げた袖からはみ出た腕を
冷たい空気がヒンヤリと撫でていきます。


今日は、以前から行ってみたいと思いながら、
なかなかその機会がなかった骨董市が開催される日です。


突き刺すような外気に怯みそうになりましたが、
もこもこマフラーに手袋、厚手の靴下、
3月も半ばというのに、真冬と変わらない完全防備で
ホームに到着した電車に乗り込みました。


地下鉄の出口からすぐにある観音様の境内には、幾つもの急拵えの露店が
敷地いっぱいに広がっていました。



赤い鳥居に近い店の脇を通り過ぎようとした時、
突然、高飛車な調子で呼び止められたのです。




『やっと気づいたわね。
アタシみたいにキレイで上品で美しくて教養のある女は
そんじょそこらの人間に買ってもらっちゃ困るのよ。
ようやく見つけたわ!
あなた!そう!あなただったら何とか許容範囲だわ。
紙屑みたいな紙幣とアタシを交換なさい!
アタクシは紙屑なんかより大変な価値があることよ!』


『お母さま、あまり興奮なさると血圧が…』


『あ!これはアタシの娘なの。心配性なのよ。
心配したってコトが起こる時は起こるし
起こらない時は起こらないっつ〜の。
アホみたいに心配ばっかしてんのよ。なにしろアホだから』


『お母さま、つい先日もお医者さまに血圧のことで注意されたばかり…』


『おだまんなさい!血圧の基準値を最近また下げただけよ!
どうにでも操作できるのよ、あんなもん!
騙されるんじゃないわよ、健康診断なんて行くもんじゃないわ。全く〜』




3000円と値札が付いている、小煩い彼女を連れ帰らねばならないのか?
身動きが取れず困惑しておりました。
娘は?小さい娘はおまけで貰えるのかしら?
離れ離れになっては可哀想です。


その時。

バタン!

口から泡を吹くほど捲し立てていた彼女が大きな音を立てて
パッタリと仰向けに倒れました。


驚いて後退りする娘。



先ほどから露店の周りをウロウロしているチェックのシャツの男性は、
すぐ目の前で起きた惨事に気づかず、
のんびりとした顔つきでゆっくり通り過ぎようとしています。



『だから興奮してはダメと申し上げましたのに…
お母さま!お母さま大丈夫でございますか?』


返事がありません。


どんな時も表情が変わらぬというのは人形の持つ宿命ですが、
この場合、それは不気味にしか見えません。


突然倒れたというのに
ぱっちり開いた大きな目
黒々した長いまつ毛
美しく弧を描く眉


楽しげに微笑みかける柔らかな口元


ぷっくりと豊かな頬


高く上げた短い両腕は嬉しそうにさえ見えます。




『お母さま!お薬を盗って参りました』



いつの間に?
目にも止まらぬ速さで、境内の別の店から薬の箱を掠め取ってきた
母思いの娘が、倒れている母の口に何やら得体の知れない液体を注ぎ込み、
事なきを得ました。


いやはや、骨董市とは、なんでもありです。




『どうせあなた売れないでしょ?次回の開催までに考えとく。
絶対また来るから』


と約束し朝方より賑わいを見せ始めた市を後にしました。


ごちゃごちゃと纏まりがなく、
カオスな空間が心地いい、月に一度の骨董市での出来事でした。






おまけ画像


古民具、陶磁器、漆器、掛け軸、昭和のおもちゃなどが所狭しと並ぶ
骨董市は、妄想に打って付けの素敵な空間でした。


先日、骨董市に出かけたのは事実ですが、妄想混じりです。

廃屋と洗濯機とねこ


廃屋の裏手に広がる空き地。
いつの頃からか、ここに洗濯機が放置されています。


寂しげに佇む洗濯機が気に掛かるので、ときどき遠回りをするのですが、
その日、通り過ぎようとしましたら


洗濯機の向こうに何かいる!



近所の飼い猫なのか?
住み着いているのか?



暫し見つめ合う1人と1匹
微かに緊張が走ります。


(よう来たな。弥生3月、今日という日を待っておったぞ)


猫の囁きがスルスルと頭に流れ込んできます。
畏怖の念を抱き、思わず跪きそうになりました。


(今日という日を分かっていらしたのですか)
それには答えず、


(面を上げよ)


そろそろと一歩前に足を踏み出します。
猫は身じろぎもせず、こちらを見下ろしています。


(そのお姿をお撮りして宜しいでしょうか)


(構わぬ)


洗濯機の向こうで置き物のようにジッとしている猫をパチリと一枚。
枯れ草に足を取られそうになりながら、
一歩二歩と近づき
もう一枚パチリ。



(あと少しだけ、そちらに参っても構わないでしょうか)


(構わぬ、近う寄れ)


それでも、遠慮しつつ緊張しつつ
そろりそろりと近づき
パチリ!



最後に思い切って大きく一歩踏み出して
パチリ!



(ありがとうございました)


礼を述べようとしましたが
最後の一枚を撮り終えた瞬間、
彼はヒラリと身を翻し、彼方へと去っていきました。