この町内の片隅から

よく分からない

蓮根の天ぷら

次々と揚げ上がる『牛蒡と人参のかき揚げ』を
吸い取り紙に置く間も惜しみ、揚げる端から口にしながら、
心の中で叫んでいました。




違う!
食べたいのは、蓮根の天ぷらだ!




その日、急に蓮根の天ぷらが食べたくなって、野菜売り場を物色したのですが、
隅から隅まで探しても、蓮根が置いてありません。
以前も同じことがありました。
どういうわけか、この店はしばしば蓮根の入荷が無いのです。


無いとなると余計にそのことで頭がいっぱいになるもんです。




早々に諦めて、牛蒡と人参を揚げたのですが、揚がったかき揚げを次々と口にしながら
(別に不味くないけど違う!蓮根!蓮根!)
心の中で蓮根を連呼していました。


もし、いま突然にこの命が絶たれたら
『蓮根!』っていう思いだけがこの世にいつまでも彷徨う気がします。








〜〜〜〜〜〜〜〜


そんなことになったら悔やんでも悔やみ切れない。


悔やむことがないよう、食べたいときに食べたいモノを食べなくちゃ!
行けるときに行きたいところに行かなくちゃ!
会いたいときに会いたい人に会わなくちゃ!


それでも叶わなかったら、その時はその時だ。
思い残すことがあったって当然。
叶わなかったという『余白』を残して逝くもんだろうから。
(蓮根で飛躍し過ぎ)



◯んでから、


『オカンは蓮根が好きだったな…』


なんて珍しく殊勝な気持ちになった息子に
しんみりと『蓮根の天ぷら』をお供えしてもらっても、ちっとも嬉しくない。
◯んでたら食べられないのだよ!息子よ!
見せびらかすのはやめてくれ!
下げたあと、線香のにおいが染みた蓮根の天ぷら、どうするつもりなのだ?
息子よ!
(そもそもあんな狭い仏壇の中に居るのか?自分?絶対居ない気がする…)


                        〜〜〜〜〜〜〜









◯んでも◯にきれない、とはこの事です。



焦りまくりながらも、牛蒡と人参のかき揚げを次々と口にしたのでした。
南瓜と舞茸とオクラと竹輪も揚げました。


つまみ食い(…?と言うのか?)で腹一杯になってしまい、
レタスのみそ汁とご飯と納豆と切り干しの煮付けは、一口も入りませんでした。


よっぽどお腹が空いていたのでしょうか?
その日は立ちっぱなしのまま、ささやかな晩ごはんを終えたのでした。




近所の人に、プランター栽培で育てたというラディッシュを頂きました。
甘酢漬けにしたラディッシュで油まみれの口がさっぱりです。





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確か、東野圭吾さん
『手紙』の205ページに
蓮根の天ぷらのことが書いてあります。
(205ページ?)
あまり食べられないくせに、食べものの描写ってけっこう覚えています。




牛蒡と人参のかき揚げは、完売したので画像がありません。
(まぁお見せできるほどのもんじゃないから問題ないです。)




おまけ