この町内の片隅から

よく分からない

近う寄れ

青くさい高校生のガキでもあるまいに、
その人とすれ違うと心臓が高鳴る。


このマンションに入居してかれこれ25年になる。
鉛色の空から雪でも舞いそうな入居者説明会のあの日、集会室にポツンと座る、
あまりにも似過ぎるその人を見た瞬間、驚きで椅子に蹴躓きそうになった。


ところどころに数台置いてある灯油ストーブがチラチラ燃えていた。
いくらストーブを焚いてもコンクリートの床は冷え冷えする。


説明会の内容もそぞろに、その人を目で追った。




卒業までロクに話すこともできなかったが、オレが高校生の頃
好きで好きで仕方なかったあの人にそっくりなのだ。
説明会の間中、忘れかけた記憶を蘇らせ思い出を辿っていた。


何が何だか分からぬうちに説明会は終了した。


資料を手に帰宅したが、家内に内容を聞かれても何も答えることができなかった。


『だから、わたしが行けばよかったのよ!』


怒られたが、反論のしようがない。




入居以来、折々にその人の姿を目にする。
ベビーカーに乗っていた赤ちゃんが
自転車の前に座るようになり、
後ろに座るようになり、
自ら補助輪付き自転車を練習するようになり、
そしてまたベビーカーに乗る赤ちゃんが増え…


オレはその人をずっと目で追っていた。
青くさい頃と同じだ。
一言も口を利くことができない。
恥ずかし過ぎて話せないのだ。
きっと真っ赤になるだろう。
いい年して情け無い。




その人は誰にでもキチンと挨拶をする。
宅配便の業者にも。臨時清掃の業者にも。


『おはようございます』
『こんにちは』
『こんばんは』
『寒いですね』


時には仲のいい入居者と話し込んでいることもある。


その輪の中に入れるもんなら入りたい。
ちょっとでいいから話してみたい。
趣味はなんだろう。
廃屋が好きだといいな。
電車が好きだといいな。



昨日もエレベーターの前でバッタリすれ違った。


『こんばんは』


オレは知らん顔して明後日の方を向くしかなかった。
情け無い。



同じ階の住人がエレベーターから降りてきた。
どうでもいいこの人とだったら気安く話せる。


『こんばんは』
『こんばんは』


こんな風に、その人とも挨拶くらい交わせたらいいのに。




〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜〜〜※〜




マンション内に、挨拶しても挨拶しても、
いつも知らん顔される方がいらっしゃいます。
黙っていますが、微妙に傷ついていました。
よく話す数人の入居者の方にそれとなくお聞きしましたら、


『あ!わたしも!』
『あの人、挨拶も返してくれないよ』
『でも、人に依るみたい』


自分だけではないのか…少し安堵しました。




先日も、わたしを無視したそのすぐ後に、他の入居者さんと
親しげに口を利いてみえましたので
流石に落ち込みましたが、上記のような妄想を頭に浮かべたら


(そうか。そうだったんだ。美しすぎるって罪なのね)


なんて元気がでてきました。



妄想のあまり、次にバッタリお会いしたら、
きっといつものように明後日の方向を向くその人に向かい


『苦しゅうない 近う寄れ』


なんて声を掛けてしまいそうです。








おまけ
地面の口 ビフォーアフター


今回の加工 自分