この町内の片隅から

よく分からない

節分

今ではほとんど消滅しましたが、
どうでもいい妙な能力?を最大限に発揮できた時期がありました。
能力?
最寄りの図書館では、ひとり10冊まで、2週間借りることができます。
家族分4枚の利用者カードを握りしめて、週末になると通う図書館。


ズラリと並ぶ本の背をジッと見つめます。
すると、なぜだか背表紙がピカリと光って見えることがあるのです。


大抵の場合、当たりでした。
当たっていれば、その作家の本を手当たり次第読みまくりました。
外れても無料ですから気が楽です。






小中学校の頃、夏休み前になると何冊かの『課題図書』が
発表されます。
中には心揺さぶる本もあったことと思います。
しかし、どんなに素晴らしい本だとしても
『課題図書』と名が付くだけでその周りが灰色に見え、
ゲンナリしてしまい、それらを手にしたことは一度もありませんでした。


他の本でもいいのですが、
なるべく『課題図書』を読んだ感想を原稿用紙3枚〜5枚書かねばなりません。




はぁー面白かった
読み終えたあと、しばらく動けなくなった
なんか知らんけどよかったわ
いい気分




正直な感想が3行か4行の場合だってあります。
なぜ、正直な感想ではダメなんだろう
なぜ、長々と書かねばならないのだろう
と思っていました。


(感想だけでなく、文章を書く練習の意味もあるのでしょう。
でも、それとこれとは別問題だと思っていました。)


感動しすぎて言葉にならない感想だってあるのに…






節分になると、読みたくなる一冊の絵本があります。
豆まきはせずとも、長い海苔巻きは食べずとも、
子どもらが幼い頃、節分の夜になると必ずこの絵本の読み聞かせをしました。
別にねだられる訳でもありません。
自分が読みたかっただけです。
ちょうどいい対象が目の前に居ただけです。


ムリヤリ聞かされて、いい迷惑だったかもしれません。


読み聞かせの相手はいなくなっても
節分の夜になると、この本を手に取ります。




『教科書に出てくる本』


このシールさえ無ければ完璧だ、と思いながら。