この町内の片隅から

よく分からない

餅つき

暮れも押し迫ると、普段は何処にあるのか謎である
臼と杵が登場します。
これも普段は目にすることがない、大きな蒸籠で
餅米を蒸すモワモワした蒸気が漂うと、
師走に入ると徐々に始まる
慌ただしい非日常のクライマックスに
子ども心にもわくわくしたものでした。


目の前が見えないくらいの湯気を立て、こっくりと
いい香りに蒸し上がった餅米が、臼にドンと落とされます。


『ペッタン!』


『ホイッ!』


『ペッタン!』


『ホイッ!』


まるで魔術のように
父と祖父が息を合わせテンポよく餅をつく姿に、目が釘付けになります。



『あ!餅とり粉が足らない』


母が困ったように呟きました。


『片栗粉一袋、大急ぎで買ってきてくれない?』



あれは、小学校に上がる前だったと思います。
母の困った顔を見て、一気に緊張が走りました。
そんな顔をされたら拒否などできる筈がありません。


微かにうなずき、100円か200円だかをしっかり握りしめて
ドキドキしながら、たぶんはじめての1人のお使いに出かけました。


近所の個人商店に行ったと思います。
じっとり湿った硬貨で片栗粉を一袋買い、間に合うだろうか?心配しながら
急いで家に戻りました


『ありがとう!助かった!』


餅つきに参加したような誇らしい気持ちでいっぱいになったもんです。




あんなに美味しいつきたての餅はもう二度と口にすることは無いと思います。
あんなにわくわくする素朴で温かい年末はもう二度とやってこないと思います。




『人はどうして少女のままで生きていけないのだろう。
人はどうして大人になり、つらい苦役を背負わされるのだろう。』


年の瀬になると、
林真理子さん
『本を読む女』の一節が蘇ります。



食べることに困るわけでもない
寝るところに困るわけでもない
着るものに困るわけでもない
苦役というほどのモノを背負っているわけでもない
でも、ときどき重い気持ちになる


 
知らずに済んでいたから、何も気がつかなかったから、
子どもの頃は心が軽かったのかも知れません。




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あ!書き終えて清々しい気分になっていました年賀状。
投函するのを忘れていました。
ドヨンと澱んだ心を抱え、夕闇が迫る寂しい道を
ポストまで走りました。


120gほどの苦役を背負いながら…