この町内の片隅から

よく分からない

梅雨時に思う ⑨


どうしても納得できなかったことが2つありました。

ひとつは、9:1という過失割合のことです。


『横断歩道は歩行者の横断のための場所ですので、横断中の歩行者がいないなど
歩行者の通行を妨げるおそれのない場合を除き、自転車に乗ったまま通行しては
いけません。』

交通の方法に関する教則第3章では、自転車の横断方法について以上のように
示されています。

つまり、横断歩道に歩行者がいない場合、もしくは歩行者の通行を妨げる
おそれがない時は、自転車に乗ったままでも横断歩道を渡ることができると
いうことではないのでしょうか。


しかし、
 自転車 🟰 軽車両に乗ったまま横断歩道を渡った事実 
🟰 わたしの非
その点が取り上げられ、
何回かの相談、和解斡旋がどうしてもまとまらず、最後の審査会で審査員の方々が
下した結論は多数決で過失割合9:1でした。


審査員の方とは、一般的に

法律学者
裁判官経験者
経験豊富な弁護士さん
などの経歴をお持ちの方々です。

(歩行者なんて誰も居なかったのに!誰の邪魔にもなっていなかったのに!)


悔しくて、審査会の会場で立ち上がったまま、手がぶるぶる震えるのを感じましたが
心の中では、これ以上はどうにもならない、これまでだ、と
諦める気持ちもありました。疲れもありました。
最後の審査会でまとまらなかったら、次は裁判になってしまいます。




この世界の仕組みを、途方もなく大きな一本の大木に準えるとします。

何の後ろ盾もない、名もない庶民であるわたしは、
四六時中風雨に晒される枝葉の部分です。
権力者がわざと分かりにくく作ったルールからはみ出たら、
すぐ見つかるように、
わたしを遮ってくれるものは何もありません。

わたしなんかには一生、その中を見る機会もないでしょうが、
大きな幹の中で守られている
ほんの一握りの人間には
分かりにくくされたルールの抜け道がちゃんと用意されているように
思えて仕方ないのです。

その時は、ぼんやりとした意識でしたが、
コロナやワクチン騒動を経て、それはもっと確信に近い思いです。




この世界は不平等で理不尽だ。
習ってきたことはほとんどがキレイゴトでウソだったのかも知れない。





そうは思っても、
何の後ろ盾もコネもない、ただの庶民が、最後の審査会まで粘ることが出来たのは
この相談センターと親身になって下さった先生方のお陰です。
ここまで辿り着けて、わたしは運がよかったのかもしれません。


ただ、相手の保険屋さんの前で示談書に判を押すことには、
非常な抵抗がありましたし、その時は気持ちもぐじゃぐじゃでしたので、
日を改めて、また伺うことにしました。


審査会から約3週間後、冬の晴れた日、紛争処理センターに
伺ったのが最後の訪問となりました。






※  何年か前の交通事故の顛末記です。
 
 もうすこしだけ続きます。(毎回、そればっか…)
 人生、行き当たりばったりなもんですから…