この町内の片隅から

よく分からない

ガチャリ

近所の名もない児童公園に一本だけ咲く桜を見てきました。
曇天の空の下でしたが、やっぱり桜はいいですね。
帰りに、最近駅前にできた、五平餅とみたらし団子を扱う小さな店に寄りました。
本当は、隣県の本場の?五平餅が食べたいのですが、ここのもまぁまぁイケます。
商品の受け渡し、お金のやり取りが終わるや否や、受け渡しの為の小さな小窓がピシャっと音を立てて閉められ、他意はないのでしょうが、なんだか少し悲しかったです。


①お客さん(どんなに親しい仲でも)が帰った後、玄関ドアの鍵を『ガチャリ』とすぐかけてはいけない。
もし、相手に聞こえたら、会えて楽しかったことが、『ガチャリ』で全て帳消しになる。


②外で見送る場合、なるべく相手の姿が見えなくなるまで、時間の許す限り、見送るといいよ。
振り返った時、まだ居てくれたら、うんと嬉しくなるから。車だったらなるべく車が見えなくなるまで。(轢かれないように気をつけて)


息子たちは覚えているかどうか分かりませんが、このふたつは気をつけて欲しいと、小さいときから伝えてきました。(自分がして欲しかっただけかも?)


自分がされて悲しかったことから、気づくことってあります。


五平餅、すこし味が濃かったです。隣県の五平餅が食べたいです。
隣県のそれは、何本でも食べられるし、めちゃくちゃおいしいんです。(ゴクッ)
ここで、桜とか、五平餅の写真を載せることが出来たら、何だかホンモノ?っぽくてカッコつく?んですが、まだそこはハードルが高いです🤣

王妃マリーアントワネット

もしできたら、生きてるうちに行ってみたい場所があります。
フランス革命で、断頭台の露と消えた、王妃マリーアントワネットが最後に過ごした場所、
コンシェルジュリー塔です。
それまで共に幽閉されていた、義妹のエリザベート内親王、王女のマリーテレーズと引き離され、たった一人で処刑まで過ごした場所です。
どんな思いだったのか計り知れないですが、少しでもその空気に触れてみたいです。


『ごめん遊ばせ うっかりいたしましたのよ』


断頭台にのぼる階段で、死刑執行人の足を踏んでしまった王妃の最後の言葉です。
自分の運命を呪うでもなく、誰を恨むわけでもなく、流れに逆らうでもなく、静かな水面のような心境だったのだろうか、ときどき想像します。


これからギロチンにかけられるというのに、人を労わる心の余裕。それは最後までフランス王妃であるというプライドみたいなものだったのでしょうか。
人生の前半は、享楽的で我儘で金遣いの荒い王妃でしたが、最後の最後は、一本筋の通った芯のある女性だったと感じます。


ここんとこ、色んな事が重なってちょっと気持ちが苦しいので、王妃マリーアントワネットの話を思い返して、勇気を貰っています。
誰を何を恨むわけでもなく、淡々とした気持ちで少し離れた場所から自分を見る事ができるようになるといいな、と思います。
拙い思いですが、何だか妙にまじめに考えちゃいました。


序でに、できたら『死海』に行って浮かんでみたいです。帰りに寄れるかな?

一切れのパン

わたしが習った、国語の教科書に載ってた話です。
強く印象に残っているのか、よく思いだします。


第二次世界大戦中、ドイツ軍に捕らえられた主人公が、貨物列車から逃亡する際、年老いた仲間の1人から
『これは一切れのパンです。でも、本当にもうダメだと思うまで、包みを開けないで。ギリギリまで食べないで。』
と、手渡された一切れのパンの包み。
苦しい逃亡中、何度も包みを開ける誘惑と戦いながら
(あと少し、まだ我慢できる。自分には、このパンがある。)
自分を励まし励まし、やっとの思いで自宅に辿り着き、安堵して包みを開けたら、中から転がり落ちたのは、一切れの木片だった‥


そんな話でした。


あれから何年経ったのか?いつも自分にとっての、一切れのパンを探しています。
包みの中身は何でもいい、ウソでもいい、最後まで決して包みを開けないから、信じられる何かを持っていたいと思っています。(特にこの2年は強く思います。)
できたら複数。(パンとチョコとプルーンと木の実と黒砂糖その他‥欲張り🤣‥‥荷物になるか‥?タイトルもめっちゃ長くなるな🤣)